極真空手について

極真空手は「生き方」そのものです。

極真空手はスポーツに非ず。人生の指針となり、強い生き方につながるものです。
人はこの世に生を受け、様々な誘惑や困難に打ち勝ち、そして全うしていくものだと思います。よく「生きる力」と言われていますが、そのような生き方はどこで学ぶのでしょうか?

どうも学校教育ではないようです。感銘を浮ける書籍、映画もあるでしょう。よく考えてみればご両親からの影響が一番かもしれません。しかしながら混迷する現代で、何が正しく、何を避けなければならない事なのか、とても見えにくくなっていると思います。

「生きる力」は、そうした時に惑わされることなく「本当」の進むべき方向へ向かって進む力となるものです。
本当の「生き方」を獲得することは決して平坦なものではなく、逃げたくなったり、弱気になってしまうことも多々あります。強い精神、屈しない体力がなければ生きていけません。

極真空手は武道です。空手の修行を通じて自分自身に負けない心を養い、不当な圧力に屈しない確固たる「生き方」を形成するものです。よく空手は相手に勝つためだけ、と思われがちですが、勝つために自分を高め、負けて己を鍛え、稽古を共にする仲間に感謝し、常に自己の弱さと対峙していくのです。
だからこそ、くじけない、負けない精神と体力を作り上げることができるのです。親を敬い自分の生きる道をみつける強い子供に育てるために、美と健康に満ちた美しい女性に、自分の主張をはっきりと表明できる筋の通った青年に、生涯の生きる指針として最強の空手を身につけたいすべての年代の人々へ、極真空手を提案致します。ぜひ体得してください。

極真空手とは?

極真空手は故・大山倍達総裁が創始し、現在世界130もの国に支部を持ち、 1200万人の会員を擁する世界最大の空手団体であり、その精神は様々な国の人々に愛されています。

極真空手の第1の特徴は、直接打撃制(フルコンタクトルール)と呼ばれる組手を挙げることが出来ます。 実際に空手の技を相手に当て、受けることで痛さを経験し、強くなっていきます。

「実践なければ証明されず、証明なければ信用されず、信用なければ尊敬されない」- 大山倍達

 第2の特徴として、武道空手であることです。 空手としての格闘技術の向上を目指す激しく厳しい日々の稽古を通して、精神的向上、人格の陶治を目指しています。

「頭は低く、目は高く、口慎んで心広く、孝を原点として他を益する」- 大山倍達

極真空手創始者 大山倍達

国際空手道連盟極真会館創始者。1923年6月4日生まれ。幼少の頃より拳法を学び、14歳で山梨少年航空学校に入学。
15歳のときに船越義珍先生(日本に初めて空手を紹介した人)の門下生となる。その後、拓殖大学、早稲田大学に学び、身延山での修行を経て1947年9月に戦後初めて開催された全日本空手道選手権大会で優勝。

1948年4月より清澄山にて1年8ヵ月の山籠り修行を敢行し、下山した1950年11月、千葉・館山で猛牛と対決。47頭の牛を倒し、うち4頭は一撃で即死。1952年に渡米して全米各地を回り、空手の演武とデモンストレーションを行い、空手をアピール。その間、プロレスラーなどと真剣勝負を繰り広げ7戦全勝。その後も度々世界各国を歴訪し、演武と指導を行い、空手を世界に広める。

1964年、国際空手道連盟 極真会館設立。1969年には『直接打撃制(フルコンタクト)』を提唱し、第1回全日本空手道選手権大会を開催。1975年には通称『カラテオリンピック』と呼ばれる第1回全世界空手道選手権大会を開催して、全世界に極真空手ブームを巻き起こす。世界120ヵ国に公認道場を持ち、1200万人の門弟の総裁として、その生涯を極真空手に捧げた。1994年4月26日、肺癌のため急逝。享年70歳。

極真会館館長 松井章奎

1963年1月15日、東京生まれ。大山総裁に憧れ中学時代に極真会館入門。恵まれた素質と不断の努力により、たちまち頭角を現す。17歳で全日本大会に堂々4位に入賞し、非凡さを世に知らしめた。第17回、18回全日本大会優勝。翌年の第4回世界大会をも制し大会三連覇の偉業達成。その俊敏にして華麗な組手は空手界の貴公子と呼ばれ、多くのファンを魅了した。

また世界大会優勝の前年には極真最大の荒行、百人組手を完遂し、真の武道家としての基礎を確立した。
現役選手引退後は、後進の指導にあたりつつ、大山総裁の哲学を学ぶ。大山総裁の逝去に伴い、その遺志を継ぎ、極真会館 館長に就任。現在、世界の極真会館における組織の運営と益々の極真空手の普及・発展を目指し、東奔西走の日々を送る。